このコラムは、現在当サイト内にあるコラムの中で、最も大衆的な低刺激コラムとなっております。
くれぐれも『突飛な妄想推理劇』は期待なさらぬよう、
予めご了承ください。

Written by Suzuki on Date : 2002.5.29

メイン素材は毎度お馴染みのハイド氏と、何故かジャニーズ唯一のバンドグループの顔を努める長瀬智也!
その2人の年齢差、なんと9歳ですよッ!!

そんな2人の不思議な共通点とは?

【ラルクアンシエル】と【TOKIO】。
この一見似ても似つかなそうな2つのバンド、実は非常に深い繋がりがあるのだ。
それは昔のラルクをよく知る人なら、「トキオ」という言葉の響きだけでピーンとくる人も多かろう。

一応、ピーンとこない人の為に前置きとして説明しておこう。

ラルクアンシエルはその昔、まだ旧メンバー体制だった時は、今では考えられないがそれはそれはあらゆる
コミックバンドの要素を見せていた。そのうちのひとつが【D'ARK-EN-CIEL】(ダークアンシエル)である。バンド内でパートをチェンジしたお遊びバンドであるが、その実力・完成度は明らかに『お遊び』の範囲を越えていた。とことん遊びを本気でやる人達だ。
ちなみにその【D'ARK-EN-CIEL】の持ち曲(およそ10曲ほどある)は、全てHYDE DARK(ダーク内でのハイド氏の名前)の作詞作曲で、【D'ARK-EN-CIEL】は当時のハイド氏のハードロック嗜好がよく表れたハードコアバンド(だと思う)であった。

チェンジされたパートは、最終的にはハイド氏がギター、テツ氏がヴォーカル、ケン氏がドラム、サクラ氏がベース・・という風に落ち着いたのだが、チャレンジされたパート位置の中にはハイド氏がドラムという、恐ろしく無謀なパートもあったもんだから面白い。実際に鈴木が見た映像では、案の定お約束のように人よりちょっとミニマムなハイド氏がドラムセットの向こうに埋もれて、その姿が見えなくなっていた。

さて、そしてそんなラルクの『お遊びバンド』としてのイメージを決定付けたのが、
【D'ARK-EN-CIEL】をも凌ぐ謎バンド、【KIOTO】である。

【KIOTO】・・・キオト。名前からして妙なのだが、この名前にはワケがあった。
【KIOTO】とは、当時『踊るアイドル』主流のジャニーズ事務所の中で、新たな期待を一身に背負っていたジャニーズ史上初のバンドグループ【TOKIO】のパロディバンドなのだ。

【ラルクアンシエル】と【TOKIO】は、ほぼ同期のバンドグループである。
ジャニーズ恒例のバックダンサーとしての下積み時代を考慮すれば、【TOKIO】のほうが先輩にあたるくらいだ。(よって、【TOKIO】の先輩グループにあたる【SMAP】は、ジャニーズ内のみならず一般の音楽シーンに当てはめて考えてみても、実はかなりの古株に値する)

そんなラルクとTOKIOという2つのバンドが出会うのは、そう遅い話ではなかった。
きっかけは、【TOKIO】のギター兼リーダーである城島茂氏がパーソナリティーを努めるラジオ番組に、ラルクがゲストとして出演したことに始まる。この辺はご当人達以外にはイマイチ謎なのだが、どうもこのリーダー・城島氏と、お馴染みラルクアンシエルのリーダーことテツ氏が、異様に意気投合したのだ。
年齢的にも2人は同じ歳。【TOKIO】の中で唯一離れた高年齢を誇っていた城島氏が、同年代であるばかりか、同じ関西圏の人間ばかりが集う【ラルクアンシエル】に心惹かれたのも致し方ないと言える。

そんな流れで、この2つのバンド・・・正確にはリーダー同士の交流 が始まる

バンドのリーダーでありながら、バンドの顔―つまりヴォーカルではない者同士、お互いに労わりの言葉を掛け合うことも少なくなかったであろう。特にラルクのリーダー・テツ氏は、昔から『アイドル』『メイン』への願望が強かった

そこに城島氏が手を貸し、誕生したのが【KIOTO】であった。
当時【TOKIO】の中で一番のヒットを飛ばした【LOVE YOU ONLY】という曲を、パートチェンジしたラルクで演奏する・・・という、そりゃもう見事なまでのお遊びっぷりである。ちなみにそのパートとは、ラルクのもうひとつのお遊びバンド【D'ARK-EN-CIEL】と同様で、言わずもがなテツ氏がヴォーカルを取っていた。そしてなんと贅沢なことにあの「オンリィーユゥ〜♪」という掛け声のコーラスを他のメンバー3人が担当してるのだ。遊びに恥は無用である。

しかしそのコミックバンドの全貌は、結局最後まで大いなる謎に包まれていた。
【KIOTO】は数箇所のライブでアンコールに登場しているが、その出演回数は【D'ARK-EN-CIEL】と比較してみてもとことん少ない。当時、生で見れたお客さんは運が良い。

さて、そんな『お遊び』も97年のメンバーチェンジ以降、すっかりナリを潜めてしまったが、当【MUSICtext】内にて、
鈴木の策略によって再会した【ラルクアンシエル】と【TOKIO】。2002年、この2バンドに新たな共通点を生み出したのは、双方の顔・hydeと長瀬智也というヴォーカルの2人なのだ。

さて、ここからが本題。

今コラムのタイトルともなったキーワードは、ズバリ『左目』である。
ハイド氏の左目が、時として異常なのを皆さんもご存知かと思う。通常、ハイド氏の瞼(まぶた)は皆が羨むくらいのクッキリハッキリ二重であって、それがまたあの大きな瞳のインパクトを助長しているわけだが、ふいに左目だけが三重になるのだ。ヒトコトで言ってしまえば腫れているのである。

雑誌やテレビを見ていても、昔も全く無かったわけではないようだが、間違いなく今ほど頻繁ではなかった。
その兆候が頻繁に、そして実に顕著に出だしたのは、メディア露出もピークを極めた 98・99年あたりからである。

― 98年。ラルクアンシエル大爆発の年。
この年の後半、ハイド氏に大きな変化があったのを覚えているだろうか?
メジャー後初のハイド氏の金髪がお目見えした年なのだ。(デビュー前はロンゲ&金髪の時代があったらしい)
それに伴って、当時話題になったのが真紅のカラーコンタクトだった。
ますますハイド氏が人間離れしたあの自己演出である。

そして2002年の現在。
再び金髪を取り戻したハイド氏は、これまた灰色のカラーコンタクトを常着しているのだ。
ついでに言えば、左目はほぼ毎日三重になっていると言っても過言ではない。

思えば、ハイド氏の様相が人間離れするごとに左目の異常も大きくなっている。

な・・なにか悪魔的な儀式の代償に左目が腫れるのかッ!?

・・・というオカルトの極みのような突飛な論は、さすがに平凡な当サイトには似合わないのでやめておこう。

さてそうなると、つまらない結論ではあるのだが、以上のことからどうやらハイド氏はコンタクトレンズが目に合わない人らしい、ということが予測される。ようやく庶民らしい一面が垣間見れて嬉しいことだ。

しかし、どうして左目片方だけなのだろうか?

非常に個人的で申し分けないのだが、実は鈴木もよく片目だけが三重になる
それも決まって左目なのは未だ謎なのだが・・・。これはコンタクトを使い出した6年前から起こる現象で、酷く続いた一時期は、朝起きて鏡で自分の顔を見るのに恐怖を覚えたくらいだ。
その時鈴木は漠然と考えた。コンタクトを使ってる人など腐るほど居るだろうに、どうして自分だけが腫れるんだ?と。
そして数年後、ハイド氏の左目を見て、鈴木の苦しみが霧が晴れるように払拭されたのは言うまでもない。
ホント、ハイド氏のファンで良かったよ。

思えば、あの一件がさらに鈴木をハイド・・・ないしはラルクへ惹き付けた要因のひとつにもなっているのかもしれない。
(うん、実にくだらない要因だ)

さて、鈴木の話はどうでも良いのだが、そんな理由から鈴木は人様の左目を無意識に見てしまう癖がついているのだ。
そしてある日、長年培われたその鈴木の左目ハンターのレーダーに引っ掛かったのが【TOKIO】でヴォーカルを努める長瀬智也氏であった。彼もハイド氏ほど頻繁じゃないにしろ、左瞼変化現象に見舞われているのである!!
数年前、彼は【メダリスト】というコンタクトレンズのテレビCMに出演していた。
そんな彼の左目が、あ・・あの現象に陥っている!?もはや他人の気がしないのは当然である。

この左瞼変化症候群にかかっている人間は、思いのほか他人の瞼が気になるものなのだ。自分のコンプレックスを他人にも見出そうとする強(したた)かな心がそうさせるのかもしれない。

そう思っていた鈴木は、ある日のミュージックステーションでハイド氏と長瀬氏の意外なほど似合わない仲良さげなツーショットを見て、心和ませたのだった。

同じ悩みを抱える者としての、(一方的な)同族意識がそうさせたのだろうか。


以上、お粗末さまでした。